Date: Wed, 13 Jan 1999

I N T E R V I E W : 音のある世界で
ホーミーで耳が生まれ変わった!
Vol. 6  中野 純さん


──-中野さんは、牛やクジラなどさまざまな動植物と、ホーミーでコミュニケーションする不思議な人。その姿をテレビで見た人もいるのでは? ホーミーとは、ひとりの人がふたつの声(音)を出して歌う驚異の唱法。日産のクルマではない、念のため。



中野:声って、ものすごくカンタンに変わってしまうんだよね。僕は昔、音楽のプロデュースをやってて、レコーディング中によく実感してた。

──-人の声が変わる?

中野:もう、ワンテイクごとに違うもの。もちろん楽器の音も変わるんだけれども、佐野さんの話じゃないけど、人の声というのは楽器の音に比べてもう本当にちょっとしたことで変わります。密閉されたスタジオであっても天候の違いとか、時間の違いとか、こちらのちょっとしたサジェスチョンやアドバイスを投げた後であったりとか、マイクの位置であったりとか、もう本当に些細なことで、おもしろいくらいにというか、困るくらいにというか、同じボーカリストが歌っていてもコロコロと声というのは変わっていく。とりあえず声って何か変な楽器だな、というのを感じてました。

──-「声が楽器」って、普通はあまり考えませんよね。

中野:そんな珍しい発想じゃないと思う。音楽の仕事をしている人、ミュージシャンとかは、自然な感覚として声は楽器、バンドの楽器のひとつというふうに思っていると思う。ただ、楽器だけど、楽器のひとつに過ぎないと思っている人はあまりいないだろうね。でも、僕の中でその感がきわまったのは、やっぱりホーミーに出会ったこと。それから、自分を取り巻く音の世界が、激変したんだよね。

──-ホーミーとの出会いは?



中野:最初はCDでした。聞いたとたんものすごくビックリして。なんでかわからないけど「自分でやりたい!」って思ったんだ。あまりにもヘンだったから(笑)。軽い気持ちでちょっと真似てみたら、とてもホーミーとはいえないけど、それっぽい音が聴こえてきて。えーっ! と思ってさらに鳴いてみて、そのままズルズルと……。単純な話、すごく気持ちよかったんです。

 以来、声を出して鳴くことと、出した音を聴くことは、いつもセットなんです。最近は、CDとかで音楽を聴かなくなりました。嫌いになったわけじゃないけど、ながら的に聴けなくなったの。ラジオもCDも。なんとなく流れている音楽が、すごく耳につくようになっちゃって。かなり鬱陶しくて、カラダに入ってこない。特にここ(東京・豪徳寺)に引っ越してきてからは。自然が豊かで、裏山を通る風が葉っぱを揺らす音とか、虫や鳥も多くて、本当にいろんな自然の音が聴こえてくる。これで十分って感じ(笑)。

──-ホーミーを通じて、耳が変わったんでしょうか?

中野:うん。音の中にある「倍音」に耳がいくようになったんですよ。楽器の出す音にも、普段の僕らのしゃべり声にも、ほとんどの音には豊富な倍音が含まれているんです。たとえば、口の中で舌を動かしながら「イーーー」って音を出すと、上の高いほうで、ジリジリジリみたいな音が聴こえませんか?

──-「イーーー」。聴こえるような、聴こえないような……。

中野:僕も昔なら「イー」は「イー」だろって(笑)。でも、ホーミーを通じて、同じ「イー」にもいろんな周波数の倍音が含まれていて、その構成の違いが音の特色をつくっていることを実感できるようになった。この倍音が、音の美しさや魅力を形づくっているんです。耳がホーミーの倍音だけでなく、すべての倍音を聴くように勝手になっていって。すると音楽じゃなくても、すべての音色が楽しめちゃうわけですよ。お葬式に出ても、お坊さんの読経に耳が向かう。ありがたい気持ちになるお坊さんって、やっぱり響きが違うし、倍音をすごく出しているんです。

 ま、そんなわけで、声が楽器であるとは思っていたんだけど、ホーミーに出会って、こんな音も出せる楽器だったのか! っていう再発見があったんですね。

──-人の声を「音」って捉えると、たしかにおもしろいですね。

中野:ホーミーで聴こえるふたつの声のうちの高いほうなんて、本当に音としかいいようがない。これを声というほうがヘンというようなもので、ああ声って音なんだなというのに気づくわけですよ。

──-その頃書かれた『日本人の鳴き声』の中に、「どんどん高くなる日本人の声の高さ」っていう章があって、気になったんです。



中野:機能からいえば、話しのやりとりに、声なんてどうでもいいわけじゃないですか。たしかに落ちついた声だねとか、きれいな声ですねとか、そういうのはあるけれども、そんなのは何かいい天気ですねみたいな、ただのフリみたいなもので、どうでもいいわけです。要するに、問題なのは話の内容。それは何かというと、問題なのは言葉であって、声というのは言葉を乗せるための道具でしかないわけ。その声という乗り物に言葉が乗って、向こうに言葉が伝わればそれでいいわけで、言葉が到達すれば、そのとき声の役目は終わっている。単に運び屋であって、だから高い声で伝えようが低い声で伝えようが、同じ内容が伝わればそれでいいわけです。

 今は大分状況が変わってきていると思うんです。声そのものに興味を向ける空気というのは、当時よりも今のほうがもっと強くなっていると思います。90年代初めぐらいのときは、話をするというのはあくまで言葉のやりとりであって、声は関係ないと。極端ないい方ですけれど。でも声というものの中に、ものすごく重要な情報が実は豊富に含まれている。たしかに、言葉で伝えている言葉の意味そのものは、別にどんな声で伝えようが変わらないけれども、それ以外の部分がもう全然違ってきて、その話で直接伝えたいことではないことを伝える。たとえば声の高さでいったら、話の内容というより、自分のテンションを伝えていたりして、直接はその言葉の意味には関係ないけど、でも声が伝えようとする。実際に伝えている内容というのは、そんな簡単に捨てるべきものじゃなくて、もっと注目しなきゃいけないという、そのひとつとして声の高さがあると思います。

 で、あの頃女の人は、変体少女声というのがピークに来て、それが一段落してみたいな。でも、そこに向かってすごく高くなっていって……。

──-山瀬まみみたいなものですか。

中野:いや、基本的には一般の人たち。ただ、タレントだって当然一般の人たちの中から出てくるわけだけど。キャピキャピというよりも、もっと線が細くて、こら何言っているんだ、聞こえねえぞみたいな、そういうのが70年代後半から80年代にかけて。だから、まさに変体少女文字、丸文字がピークになった頃に、その文字と一緒にすごい主流になったんですよ。


──-今はどんな感じですか?

中野:最近気になっているのは、鼻かけ声と壊れ声。これもタレントや一般の人に、ものすごく広がっているんです。2年前くらいからだと思うんだけれども、「ワタスハ」みたいな、そういう。

──-?

中野:「スキナンデスウ」みたいな。

──-えっ、そこまで。



中野:たとえば、『エヴァンゲリオン』見ましたか? 主役の碇シンジだっけ。彼の役の声優というか、彼の声、シンジの声がその鼻かけ声なんです。たとえば「こんにちは」だったら、「こんにちは」の「こ」が「クン」になって、「クンニチハ」になるみたいな……、なんでもかんでもというわけじゃないんですけれども、かなりの音が母音がウに引っ張られていく。それ「u傾化」って一応ネーミングしたんですけれども。子音にアイウエオの母音が乗っかって、その五十音ができているじゃないですか。そのア、イ、エ、オの4つの音がウに引っ張られって、みんなウの風味がある母音になっている。そうすると、何か声がくぐもったような、鼻にかかったような感じになって、その鼻かけ声というのは今若い女の子にものすごく多いんですよ。かわいい系のアイドルなんかほとんどそうだし。今までそんなの全然なかったのに、それはものすごいことで、そんな鼻にかけたようなくぐもったような感じの声というのは、それこそ女がそういう深い関係にある男に甘えるときとか、何か特別なシチュエーションで使ってた。

──-懐刀のような(笑)。

中野:それが、今はすごく普通のパブリックなときにも平気で使われている。それはものすごい大変なことで、だけれども全然そういうことって問題にされないじゃないですか。それと、あと壊れ声ですね。吉川ひなのやさとう珠緒だとか、その辺の人たちはすごく山瀬まみ的な壊れた感じの声ですね。それともう一方で、篠原ともえみたいなハスキー系の声もあって、簡単に言ってしまうと汚い声が魅力的な声になっている。

 さとう珠緒とか、吉川ひなのの声というのは、すごくユニークで、なんて言っているか聞き取れなくなってもある程度許される。そうするとかなり自由に歌声というのはつくれる。それにマイクというものが出てくることで、声量のある声を出さなくてすむ。声量のある声を出そうとすると、ある程度もう発声や声質は決まってきてしまうけれども、それがマイクのおかげでどんなタイプの声でも出せるようになっている。だから、歌声というのは、いろんな声がその人の自己研究次第で出せるんです。そういう状況はここのところはあったと思うんだけれども、話し声というのはやっぱり言葉の意味が伝わらないとつらいというのがあって、単に声をやりとりしてると、何のために話しているのかわからなくなっちゃうんです。歌って飲めや歌えやの世界で、歌えばいいのに話しているんだから、やっぱり言葉の意味はちゃんと伝わらなきゃ。そうすると、何言っているかわかんないという状況じゃ困るという。その辺のところ、そのボーダーを崩しているのが彼女たちだと思うんですよ。

──-分析的にすごくおもしろいな。

中野:すごいタブーに挑戦している感じがして、どこまで発音崩したら通じなくなってしまうか、通じる通じないのぎりぎりのところで、場合によっては通じなくてもいい。テレパシー直前みたいなところがある。

──-それは何かこう、洋服を着がえるようなことでもあるわけですよね。そんな感覚で声を使い分けたら楽しいかも。

中野:それが、やっぱりホーミーから始まっているんだけれども、すばらしいのは、そういう体験がすぐできる。単に声を出してみればいいだけの話で、しかも自分が声を出すのに金払う必要はないという。だけれども、すぐできて、タダで、それで別にどうということはない、単に声を出すというだけといった話なんだけれども、考えてみたら全然普段やっていないんですね。いろんなふうに声を出してみるということは全然やってない。ただ、唯一カラオケというのがたいぶ状況を変えたとは思うんだけれども。電話やカラオケのおかげで声というものをきちんと気にかける、そういう物の見方じゃない、受け取り方というのが自然に強くなってきている、それはとってもいいことだなと思います。

──-説得力を持つ声って全然違いますものね。声自体にすごく力がありますよね。それと、何かこの声を聞いていると、ああこの人が出している音って今こんなことなんだとか、口ではこう言っているけれど、声としてはこういうことを言っているんだみたいなことって、そこへ注目するとすごくおもしろいでしょうね。

──-音を聴きに、旅へ出たりしますか?



中野:音を楽しみたいから行くっていう気持ちは、常にありますよ。カメラじゃなくて、テープレコーダーをリュックに入れていくわけ。それが、はじめてレコーダーを持って山へ入ったとき、「ここはどこ?」って感じで、すごく新鮮だったんですよ。僕は山が好きで、旅行の大半は日帰りで行く山歩きなんですね。いつも行ってる山なのに、まるで異世界だった。聴こえてきたのは、セミや鳥の声であったり、沢や風の音だったりね。たいして珍しい音じゃないんだけど、それに全神経の80%くらいを注いで山を歩いていると、すごくゆっくり時間が流れているのに、ものすごいスピード感があるんです。情報量の凄さが不快ではなくて、多いのに静かな感じで。カメラがレコーダーになっただけで、こんなに旅の仕方が違ってくるのか、と。

──-具体的にどう違ってくるんです?

中野:当然、おもしろい音がするほうへ足が向いていきますね。

──-山道をそれて?

中野:スゲー綺麗なネーチャンがいて、こっちにはぜんぜん綺麗じゃないネーチャンがいてヘンな音を立てている。本来はあっちへ行くべきなのに、こっちに行ってしまう、ぐらいのギャップがあるわけですよ(笑)。カメラも持って、いい風景撮ろうとか思って、視覚99%くらいで歩いていたのが、レコーダー持って歩くと73%くらいに下がる。その質的変化がすごく新鮮で衝撃で、逆に今普通と思われている旅のスタイルが、なんてイビツなんだろうって、すごく感じました。

 昔、クジラとホーミーでコミュニケーションしようって企画で、沖縄の久米島へ行ったんですよ。ある晩、スタッフと話ながら、真っ暗な道を歩いていたんです。そうしたら、遠くのほうからだんだん低い音が近づいてくるんだよね。山鳴りというか、低いノイズのような感じの音が。それがこっちへ向かってきながら、だんだんいろんな種類の音に分かれてきて……。スコールだったんです。葉っぱだとか道や屋根とか、いろんなものを鳴らしながら、どんどんこっちへ来る。でも夜だから見えなくて、音だけが近づいてくるんです。そして、ずぶ濡れになりました(笑)。そのときはちょうど音の話をしていたから、「してやったり!」な瞬間でした。

──-いま、中野さんが興味ある音、聴きに出かけたい音って?

中野:あー、それはローレライ。ローレライって知ってますよね、曲にもなっている。ライン河にある岩なんです。そこを通るときに、歌声が聴こえてくるっていう伝説があって。この曲がなぜか日本人に人気あって、ライン河下りのツアーに行くと、ローレライのところで日本人観光客が感動して泣いているという。

──-歌が聴こえるんですか?

中野:もちろん聴こえていないと思うんだけど。あ、わからない。「聴こえました」って言う人がいるかもしれない(笑)。ローレライの話とはちょっと違うんだけど、ある滝があって、その水の流れ落ちる音が妙なる調べをつくっていて、その音を真似てホーミーにしたっていう伝説が、モンゴルのホーミーにあるんです。単なる伝説に過ぎないかもしれない。あるいは、単なる幻聴かもしれないけど、その中にはかなり豊かな世界があると思ってます。星座の中にオリオンが見えても、それが動き出したり、声が聴こえてくるっていうのはなかなか難しいじゃないですか。よほどの想像力と、ちょっと頭がおかしいのと(笑)。でも、そこまで努力しなくても、聴こえちゃう音があるみたい。ローレライ幻聴体験欲ですよ。


中野 純(なかのじゅん)
1961年ウシ年生まれ。ヒト。一橋大学社会学部卒。1985年、さまざまなメディアを用いた出版活動を展開するレーベル「さるすべり」を設立。現在、有限会社さるすべり代表。一人二重唱ホーミーで何とでもコミュニケーションする「マルチホミニケーター」、あるいは各種メディアに執筆活動をする「構想作家」。少女まんが館世話人でもある。著書に『日本人の鳴き声』(NTT出版)などがある。 →さるすべり家頁

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